御講とは?

御講(おこう)とは

御講とは、御報恩御講(ごほうおんおこう)を省略した言い方です。

総本山では古来、日蓮大聖人様・日興上人様・日目上人様の命日である七日・十三日・十五日に御報恩御講を奉修ほうしゅうします。

法珠寺においては、毎月第二日曜日に御報恩御講を行っています。

まず御本尊様・大聖人様・日興上人様・日目上人様と日蓮正宗の代々の御法主(ごほっす)上人等にそれぞれ御霊(おりょう)供膳(ぐぜん)をお供えし、読経どきょう・唱題申し上げます。その後、御僧侶(ごそうりょ)の法話(ほうわ)を聴聞(ちょうもん)します。

御講に参詣しよう

私たちは、仕事や家事、その他様々な雑事に追われ、忙いそがしい日々を送っています。

そのために「御講へ行く時間がない」などの理由をつけて、御講に参詣さんけいしない人もいるようです。このような理由をつけて参詣しない人は、やがて何か寺院参詣しない理由はないかと考えるようになってしまいます。

そのような時は、これこそ魔(ま)の用(はたらき)であると、自身を振ふり返って反省し、時間をやりくりして、御講に参詣するようにしましょう。

御僧侶の法話を聴聞しよう

御講では、読経・唱題の後に御僧侶の法話が行われます。

私たちは、迷いの多い凡夫(ぼんぷ)です。たとえ尊い信仰の体験があったとしても、自分の頭で仏法を判断するようになり、次第に正しい仏法の道から外れていってしまいます。ですから、絶えず御僧侶の法話を聴聞して、信心の姿勢を正していかなければなりません。

御講参詣の功徳

私たちが、御本尊様への御報恩の行事である御講に参詣し、御僧侶の法話を拝聴(はいちょう)することには大きな功徳(くどく)があります。

お釈迦(しゃか)様は、老齢(ろうれい)の御信徒が遠いところから会いに来たときには、
「そなたの歩いて踏ふんできた土を粉砕(ふんさい)して塵(ちり)とし、その一粒つぶにつき一劫(こう)という長い間の罪が消滅(しょうめつ)するであろう。また、その塵の数だけ生まれ変わって幾度(いくど)も仏に会い奉(たてまつる)であろう」(趣意)
と、実に無量(むりょう)無辺(むへん)の功徳があることを明らかにされています。

さらに法華経には、八十億劫もの長い間、無量の財宝を仏に供養(くよう)する功徳よりも、法華経を説く御僧侶を供養し、ほんのわずかでも法華経の法門を聴聞する功徳のほうが実に大きいことが説かれています。

そして、ふだんの生活の中で様々な悩なやみを抱かかえていても、御講参詣によって、不思議と悩みを乗り越こえることができた等の、全国の法華講員の尊い体験が、「大白法」にたびたび掲載(けいさい)されています。

このように、私たちが毎月の御講に参詣する功徳は、計り知れないことを確信しましょう。

大白法(第698号)より抜粋

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