日蓮正宗の年間行事の解説
▼元旦勤行 -がんたんごんぎょう-
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、十字御書(むしもちごしょ)に、
「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此(これ)を
もてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりて
あきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候(そうろう)なり」
と教えられています。
年の始めを大切にする人は、徳を積むことができる人であり、周りの人
からも愛される人です。
正月は、寺院に参詣して、まずは御本尊様の御挨拶申し上げ、清々しい
新年を迎えましょう。
日蓮大聖人(にちれんだいしようにん)様は、「厄(やく)というのは治りにく
い病や、家に垣根がなく、人に過失があるようなものです。堅い護衛(ごえい)
をすれば盗人も捕(とらえ)られ、治りにくい病気も治療(ちりよう)すれば寿命
(じゅみよう)を延(の)ばす」と教えられています。厄年(やくどし)の方はもちろん、
厄年に当たっていない方も、御本尊(ごほんぞん)樣の御威光(ごいこう)にふれ、
豆を拾い福運を積んでいくことが大切です。
日蓮大聖人(にちれんだいしようにん)様から仏法の正義を受け継がれ、後世に
まで正しく法燈を伝えて下さった日興上人に対し奉り、心からご報恩申し上げる
ために奉修されます。
日興上人は正応3年(1290年)南条時光殿の寄進により、富士上野の地に大石寺
(たいせきじ)を建立され、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊(だいごほんぞん)
を厳護されました。日蓮大聖人様の仏法を正しく未来に伝えていくため、多くの弟子
檀越(だんのつ)を育てられ、第三祖日目上人(にちもくしょうにん)に大聖人様の仏法の
全てを相伝されました。
2月7日の命日には、興師会に参詣し、御報恩を尽くしてまいりましょう。
御誕生会は、御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人(にちれんだいしようにん)様ご誕生の
2月16日に奉修いたします。
釈尊(しゃくそん)の入滅が2月15日、日蓮大聖人様の御誕生が2月16日ですから、
釈尊(お釈迦様)の仏法が没して御本仏が御出現される、不思議な因縁が存するのです。
法華経(ほけきょう)に予証されるように、また、また大聖人のご出生については
種々の不思議な瑞相(ずいそう)が伝えられています。
誕生会に参詣し、御本仏日蓮大聖人様の御出現に感謝申し上げましょう。
春分と秋分の日を中日(ちゅうにち)として、その前後3日間の計7日間が彼岸で
春秋2回あります。
彼岸会は、わが国の仏教一般に広くおこなわれている行事で、塔婆供養(とうば
くよう)やお墓参りをしたり、先祖の供養をすることが通例となっています。
しかし、彼岸の本来の意義は、生きている私達自身が即身成仏(そくしんじょう
ぶつ)して幸福な境界(きょうがい)を切り開くことにあります。
その功徳をもって先祖の追善供養(ついぜんくよう)をするとき、過去の精霊
(しょうりょう)は私達とともに成仏するのです。さらに御本尊への結縁を深めて
いく大事な機会として、彼岸会を大切な行事ととらえていきましょう。
立宗会とは、末法の御本仏日蓮大聖人が、宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされ
た日を記念してご報恩申し上げる法要です。
4月28日未明、法華経に予証された三類の強敵に立ち向かうべき一大決意のもと、
ひとり清澄山より遠く太平洋にさし昇る日の出に、起立合掌されていた大聖人の口から
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と、末法万年の闇を照す下種の題目が、おごそか
に力強く唱え始められたのです。そして太陽をはじめとする全宇宙の生命に、一切衆生
救済を始む宣言をなされました。この題目こそ今まで誰人も唱え出すことのなかった
自行化他にわたる題目であったのです。
この日の正午、日蓮大聖人は清澄寺諸仏坊の持仏堂において、初めて大衆に向かって
妙法弘教の法輪を転ぜられ、広宣流布への第一歩をしるされました。
本宗においては常盆・常彼岸といわれ、毎日がお盆であり、お彼岸であると
心得て、先祖の供養を怠りなくしていくことはいうまでもありませんが、「盂蘭盆会」
という特別な日を設けることも、決して意味のないことではありません。
つまり先祖の供養と同時に、おのおのの信心に新らたな心構えをもたせ、また、
間違った教えで盂蘭盆会をおこなっている人々に、本当のお盆を教えて、成仏に
対する認識をあらためさせるのです。さらに御本尊への結縁を深めていくという
意味からも、大事な行事といえましょう。
しかも草木成仏(そうもくじょうぶつ)の深い原理にもとづき、塔婆を立てて先祖
の菩提を弔らいますから、各精霊は塔婆に書写された妙法蓮華経の功徳をうけて、
霊山浄土に安住することができます。
日蓮大聖人様は、文永8年9月12日夜半、鎌倉をお出になり、丑の刻に竜ノ口に
おいて頸をはねられようとしました。しかし、不思議な光り物が江の島の彼方から
北西の方角に飛来し、太刀取りの眼がくらみ、ついに頸を切ることができませんでした。
大聖人の凡身としての死の終り、御本仏としての生の始まり。すなわち、凡夫のお立場
から末法の御本仏としての真実の姿を顕わされたのが竜の口法難です。
そこで、毎年9月12日に御難会法要をおこない、大聖人に対し仏恩報謝(ぶっとん
ほうしゃ)申し上げると同時に、未曾有の迫害とそのご苦労を偲び奉り、広宣流布
(こうせんるふ)を誓うところに御難会法要の意義があります。
御会式(おえしき)の意義は、日蓮大聖人の三世常住をお祝い申し上げ、日蓮大聖人の
御遺命(ごゆいめい)である広宣流布(こうせんるふ=日蓮正宗の教がひろまること)
の実現に向かって、邁進することをお誓い申し上げる最も重要な法要であります。
法華経寿量品には、
「我常在此(がしょうざいし)。娑婆世界(しゃばせかい)。説法教化(せっぽうきょうけ)」
と説かれているように、仏様は常に、この娑婆世界において、説法教化をされてきた
のです。
この娑婆世界にあって、常に説法教化されるのが、日蓮大聖人であります。御本仏日蓮
大聖人の生命が三世常住であるということは、私達の生命もまた、三世にわたって永遠で
あります。
大聖人の三世常住をお祝い申し上げることは、大きな功徳となって御会式に参詣の皆様
の御身に具わるのです。
一年の中で最も重要な御会式ですから、まずは大聖人様への御報恩感謝と広布への前進の
ため、そして、ご自身とご家族の罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)と心願満足(しんがん
まんぞく)のため、参詣しましょう。
※御会式は、御逮夜と御正当会の両日奉修されます。
第3祖日目上人(にちもくしょうにん)は、身延山において日興上人には無論のこと、
大師匠の日蓮大聖人にもご入滅の日まで常随給仕し、大聖人から甚深の法義を授けられ
ました。
弘安5年10月、大聖人がご入滅された後も、常に2祖日興上人に仕え、日興上人が
正応2年(1289年)謗法の山となった身延山を離れ、富士上野に移られるに当っては、
その片腕として大いに日興上人を助けました。
日目上人がなされた公家、武家への数々の国諌は、大聖人、日興上人の志を奉じ、
じつに勇猛果敢にして、その生涯をかけての闘いでした。
この日目上人の身命をなげうって広宣流布(こうせんるふ)に努められたご精神を
深く拝し、報恩の誠を尽すため、祥月命日の11月15日に日目上人御正当会を奉修
します。
七五三が、現在のように、3才の男女児、5才の男児、7才の女児の祝いとして、
11月15日に、日を決めて行われるようになったのは、江戸時代の中期といわれて
います。一つには、この日は鬼宿日といわれ、全てが吉の日と考えられていたことに
もよります。
日蓮大聖人様は「子は財(たから)と申す経文あり」と、子供は親を救い地域社会や
国を背負う大切な宝と仰せです。
11月15日は、三祖日目上人のご命日に当ります。広宣流布(こうせんるふ)の時に
日目上人が出現せられる宗門古来のいい伝えがあります。この日に寺院に参詣して
仏祖三宝に御報恩申し上げることは、今後の息災と成長を親子共々に願ううえで、
深い意義があります。
7、5、3才に当たっていない子供さんも、御祈念いたしますのでご参詣下さい。